10月例会報告 |
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更新日:2018年11月5日 | |||||||||||||||
みみより会10月例会 元町中華街ランチと山下公園散策、非会員2名を含む、22名の参加がありました。 午前11時に元町中華街駅に集合して、10分ほどのところにある本格中華の店、「状元樓本店」へ向かいました。 そして、飲み物を選んでコース料理が運ばれてきて、どれも美味しいお料理であっという間にお皿は空っぽになりました。 とても、美味しい中華のお店で地元の会員もびっくりしていました。 幹事のお二人には感謝です。 ランチ後に中華街でお土産を買い、山下公園までぶらぶらと歩き、赤い靴の女の子像の話を聞いたり、氷川丸をバックに写真を撮ったり、最後に赤レンガ倉庫ないでお茶をして解散しました。 ご参加の皆さまお疲れ様でした。 |
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赤い靴の物語 ♪~①赤い靴はいてた女の子 異人さんに連れられて行ちゃった ②横浜のは波止場から船に乗って、異人さんに連れられて行ちゃった この歌は大正時代に最も流行った童謡としてよく知られています。 この歌に描かれている女の子は実在します。 その女の子の名前は岩崎きみちゃんです。明治35年静岡県に生まれました。 お母さんのかよさんは未婚の母でした。 当然、世間の目は冷たく生活は苦しいものでした。 かよさんは新天地を求めて2歳のきみちゃんを連れて、北海道開拓団に参加します。 けれど、幼い子供連れの開拓は大変で、泣く泣くアメリカの宣教師夫妻にきみちゃんを養女に出します。 その後、開拓村は北海道の自然の厳しさ、資金難で行き詰まり、夢が破れて2年ほどで解散します。 この間にかよさんは鈴木という男性と結婚して札幌に移ります。 鈴木は新聞社で働くようになり、その時の同僚にあとで有名になる「野口雨情」がいて、 かよとも親しくなります。 かよは生活苦から幼い娘を手放した話をしたのでしょう。雨情はこの話に感動して「赤い靴」の童謡が誕生しました。 ♪~③今では青い目になっちゃて、異人さんに連れられて行ちゃった では、きみちゃんは本当に遠い外国に行ったのでしょうか? 明治41年宣教師に帰国命令が来ます。当然横浜港からきみちゃんを連れて帰るつもりでした。けれど、きみちゃんは結核に侵されていて、長い船の旅に耐えられる体力がないと判断し、宣教師夫妻は悩んだ末、東京麻布十番にある教会の経営する孤児院へ預け「必ず迎えに来ます」といいおいて帰国します。 けれども、きみちゃんは実の母親とも育ての親とも会えないまま、明治44年9歳で亡くなりました。 後にこの話が世間に知られて、日本各地に4つの「きみちゃん像」が建てられています。 一番有名なのが山下公園の「赤い靴の女の子像」で横浜の観光名所。 二つ目はきみちゃんの終焉の地、東京麻布十番の商店街にある像。 三つ目、母親の故里、静岡県の日本平にある母子像。 四つ目が北海道の以前開拓村があった場所に「赤い靴公園」があり、「母子像」として建てられています。 ♪~④赤い靴見るたび考える 異人さんに会うたび考える |
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横浜元町中華街駅から徒歩10分、横浜状元樓本店に到着。20名が着席しました。2名は少し遅れて到着しました。 早速各テーブルごとに乾杯して会食を始めました。 |
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お腹も一杯になってきた所で、自己紹介をしてもらいました。 遠くは青森五所川原から参加のEさんです。久しぶりに参加のSさんや、Iさんも。 |
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はじめてご参加のあきる野市のTさんは古い会員だったようで、お知り合いがいて話すが弾んでいました。
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